糸島の神社と遺跡の旅

糸島ってどんなところ?

神社をめぐったり

ランチをたべたり

カフェでコーヒー飲んだり

一日で楽しめるかな?

とういう方のための記事です。

 

一日で回った糸島小旅行!

今回は東京からのお客さまをお連れしました。

 

糸島の旅のコースは

「高祖(たかす)神社」
→「細石神社」
→「平原弥生古墳・遺跡」
→「志登支石墓群」
→「昼食・伊都安蔵里」
→「桜井神社」
→「桜井大神宮」
→「浦姫宮」
→「桜井二見ヶ浦」
→「お茶・Tana Cafe」です。

 

この日は、雨が降り、

「平原遺跡」あたりで

少しひどくなりましたが、

なんと、コースの最後の

「桜井神社」から

「桜井二見ヶ浦」では、

ピカピカのお天気になりました。

ピカピカのおひさまのもと、

海はとても綺麗に見えて最高でした。

 

高祖神社も、桜井神社も、

森の中にあって、自然の氣に満ち溢れ、

大きな命に包み込まれるような感じがあります。

そのことは、私たちにとっては、

不思議でもなんでもないことなんですが、

東京からのお客さまは、

そのことにとても感動されていました。

 

<高祖神社>

写真は本殿側の鳥居から山裾のほうの道を写したもの。

本殿近くまで車で登れます。

 

 

 

 

 

高祖神社の本殿は、工事中で、

ちょっと残念でしたが、

まわりの森が、素晴らしかったです。

お社を守るように、佇む樹にも、

感動しました。

本殿脇には招霊(おがたま)の木もあります。

御祭神は

「彦火々出見命」

「玉依姫命」

「息長足姫命」の三柱をお祀りする神社です。

 

 

<細石神社>

それから、

古代伊都国の中心に位置し、

昔は大社だったとのことですが、

太閤検地にて、

社領は没収され衰退したと伝えられている

「細石神社」に行きました。

細石神社は、住宅地の中にひっそりとありました。

「細石」や「井原」の名前から、

「君が代」の起源が

この地域にあるのではないかと

言われているそうです。

御祭神は、

「磐長姫」「木花咲耶姫」の

二柱をお祀りしていました。

 

 

 

 

 

 

 

<平原遺跡>

平原遺跡は、

たくさんの銅鏡が見つかったことで、

有名ですが、

三十九面にのぼる銅鏡群が発見されたそうです。

また、日本最大の白銅鏡については、

伊勢神宮の御神体である

八咫鏡であろうと(原田大六氏により)

考察されたそうです。

その八咫の鏡は、

後漢尺で測ると、

直径二尺(46.5センチ)、

その周囲は八咫(145センチ)の

寸法を持っていること。

さらに、

「延喜式」や「皇太神宮儀式帳」に

記された「八咫鏡」を収めた

「樋代」の寸法が

平原大鏡の経に近いこと、

「御鎮座伝記」記録の鏡の特徴が

「八頭花崎八葉形也」から平原大鏡こそ、

伊勢神宮の「八咫鏡」と同型鏡であると

(原田大六氏により)結論づけられたそうです。

また、古墳の副葬品に武器が少ないこと、

装身具が多いことなどから、

被葬者を女性と推定し、

「鏡」「太刀」「勾玉」という

「三種の神器」が服装されていたことから

「天照大神」の墓であると

(原田大六氏は)確信されたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊都国は、

古代から稲作が盛んで、

農作業のための暦の代わりに、

高祖山から、日向峠に至る

日の出の位置がこれを決めたとされています。

糸島に来て、

初めてここを訪れた私は、

タイムトラベルしそうになるくらい

意識が遠くなりました。

糸島で、

年に一度開催される

平原遺跡のお祭では、

ヴォイスヒーリングで

歌ったこともあります。

声がどこまでも響き渡り、

神聖な場と空気を感じた、

とてもいい体験でした。

 

 

<志登支石墓群>

志登支石墓群は、

弥生時代早期から中期にかけてのお墓です。

弥生時代早期から

中期にかけての支石墓10基、

龜棺墓8基、

平安時代の溝1条などが発見されました。

ここは、田んぼの真ん中にある墓群です。

そして、我が家から近かったです!

 

 

 

 

 

 

 

伊都安蔵里

そして、ここで、お昼休み、

伊都安蔵里で、ランチをいただきました。

醤油蔵を改造したといわれるお店は、

趣があり、野菜や自然食品、

糸島の加工品などが並ぶ店舗の奥には、

食事ができるスペースがあり、

土間と畳の部屋の

かなり広いスペースとなっていました。

ここで、お土産も買いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<桜井神社>

桜井神社も、

とても良い神社で、大好きなところです。

この神社も、森の中にあります。

そして、海がすぐそばで、

二見ヶ浦の二つの磐をつなぐ縄は、

この神社で掛けられています。

桜井神社の本殿の裏には、

岩戸があります。

岩戸を隠すように、本殿をたてたのか、

本当のところは、私にはわかりませんが、

だれか、こういうことを、知っている人と

お話ができたらいいのにな〜と思いました。

また、本殿の横と裏側・岩戸の前側には、

彫刻と美しい色彩の施されていることろがあり、

この絢爛豪華なものが、

どうして隠されるようにあるのかも不思議でした。

御祭神は、与止姫です。

そして上にある桜井大神宮は、

伊勢皇大神宮の分神が祭られています。

桜井神社から、

さらに、階段をあがって上にあがると、

伊勢神宮の分神が祭られている3つの社があって、

素朴なのですが、

その場所の空気がピーンと澄んでいて、感動でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<桜井大神宮>

 

 

 

 

 

 

 

 

<浦姫宮>

 

 

 

1610年、爆風豪雨の中、

雷鳴とともに、岩戸神窟(古墳)の口が開き、

御神霊が現れて、

時の岩松城主浦新左衛門の妻が神がかったことから、

霊験あらたかな浦姫に、

黒田忠之公は神威を感じ

「与止姫宮(桜井神社の前身)を

創建したそうです。

それが、浦姫宮。

私たちが、お参りしているときに、

ちょうど、浦姫宮の管理・お世話をしている方が来て、

浦姫宮のお話を聴いたり、

中を見せていただいたりしました。

偶然って、あるようでないような、

本当に不思議な体験でした。

浦姫は、いろんなことが霊視できたりする、

スーパー霊能者だったようです。

そして、この浦姫宮の周りは、みんな浦さんでした!

 

 

<桜井二見ヶ浦>

 

 

 

 

 

旅の終わりは、桜井二見ヶ浦。

雨の後で、海の水が満ちていたのか、

白いしぶきをあげて、とても綺麗な海でした。

二見ヶ浦の夫婦岩は、

桜井神社の宇良宮(うらのみや)の御神体で、

春の大潮の日には、

大注連縄(おおぬしめなわ)掛けの神事が行われます。

また、夏至の頃に、

夫婦岩の間に沈む夕日の景観は格別で、

三重県伊勢の朝陽の二見浦に対し、

夕陽の二見ヶ浦として有名なのだそうです。

 

 

コースの最後には、

人生をかけてやってるコーヒーショップの

Tana Cafe」でお茶しました。

東京のお客さまは、

「人生をかけて・・・」という話をなぜか、

「命がけの・・・」と思い込んで、

ずっと「命がけの珈琲屋さん」と呼んでいました(笑)。

旅の終わりの1杯の珈琲は、本当に美味しかったです。

 

Tana Cafe

 

 

まったくと言っていいほど、

日本の歴史に興味がなかった私ですが、

今回の小旅行で、神社や古墳、遺跡には、

なにかとても重要な秘密が隠されているような気がしていて、

なんだか、その秘密を知ることができたらと、

ワクワクしている自分がいます。

 

その秘密を追いかけてみるのも、

いいな〜と思っています。

糸島は、とても重要な場所だったみたいね、

祭事・神事をするところだったみたいよ!

というお客さまの一言が、私の心を掻き立てました。

歴史に全く興味がない私が、

もう随分前に、

卑弥呼や邪馬台国は、

どこにあったかという議論が

熱心にかわされているということを聴き、

本当はどうだったんだろうな〜と

何となく思っていたのですが、

ある日の夢で、

「それは、九州と大和の両方にあったんだよ。」

という夢を見たのです。

そして、その夢のお告げは、

本当かもしれないと、思うこの頃です。

 

長い文章にお付き合いくださって、

ありがとうございましたm(_ _)m

 

 

*文章の神社や遺跡の説明は、糸島市観光協会のパンフレットを参考にしています。